入廛垂手

私は今、不思議な旅の中にいます。旅と言いましても、実際に旅行しているわけでもなく、一冊の本の中で旅をしている最中です。
行っては戻ったり、また進んだりとしている感じです。
三田誡広さまの¨わたしの十牛図¨
こちらがその本です。

何故、今、¨十牛図¨なのか。ということですが、
それは今年のはじめころに、図書館で行われました本のリサイクルで頂いた中の一冊から始まります。
その本の名は¨禅学私記¨
何故、私がこの本を選んだのか。
それは以前から、私の潜在意識が¨禅¨というキーワードをプッシュしていましたので、この題名を見たとき
これは何かのご縁だと思い、手にしていました。そして、 この機会に禅とは何かを学ばせていただこうと、いきこんで読み始めたのですが、



む?
むむむ。


無念。

どうやら、この本、私には難しかったようです。その日、1、2ぺージで諦めてしまいます。
それでも、それから諦められず何度か挑戦しました。パラパラと違う場所から読んでみたりもしましたが、やっぱり難しいのです。
そして、さすがに今度で終わりにしようかとぺラペラとぺージをめくっていたところでした。
絵の描かれているぺージがあることを発見したのです。
驚きました。
あんなにぺラペラめくっていたのに、今まで絵があることに気づかなかったのです。それも、そのぺージは結構はじめの方にあったのです。
まあ、そこはただ単に私がいい加減といってしまえばそうなのですが( ´△`)

その絵は6つありまして、ストーリーになっているようで、
人とだんだん白くなっていく黒牛を中心に描かれていました。興味をそそられ、なんだろうと読んでみましたか、残念ながら、この絵の詳しい解説は書かれてはないようでした。しかし、この6つの絵が¨六牛図¨だということがわかり、内容が気になりましたので、さっそくネットで検索してみます。ところが六牛図はなかなか情報がないようなのです。出てくるのは六牛図ではなく、十牛図というものばかりなのです。

十牛図

六牛図すらわからないのに十牛図
なんだか面倒くさくなってしまった
いつものワガママな私が出てきてしまい、
そこで、一旦この物語は終了してしまいました。

ところが先日、何気に行きました図書館で物語が再開します。¨わたしの十牛図¨という一冊の本を見つけてしまったのです。
むむむ。
私の潜在意識はどうしてもこれを学んで欲しいようです。私は覚悟を決め、借りることにしました。

そして、私は今、ワクワクやどきどき、歓喜やなんとも表せない気持ちでこの本の中を旅しています。

十牛図とは、本当の自分=牛を見つけ、その自分と一体になり、あるがままの自分として生きていく物語ですが、(簡略化し過ぎてすみません( ´△`))
素敵なのは、そこにあるのは律する厳しさではなく、どんなことも許してくれる無限の包容力です。
この本には¨十牛図¨のとても分かりやすい解説はもちろんですが、仏教の歴史や釈迦さまの世界観、般若心経やご真言仏教用語までさまざまな知慧が本当に優しく解説されています。また、いろいろな視点から解説されていまして、(物理的見地や日常的見地から実践方法まで)統合科学が成立された現代版の素晴らしい経典であります。著者の三田さまの博学、才能にただただ尊敬いたします。
何より三田さまの温かな人柄が伝わりました。
実は私には禅に否定的なところがありました。私にはまだ、《空》を理解しきれていないのです。
仏教では煩悩が苦しみを産むと言います。分かります。しかし、わかっていても人はそれでも煩悩を消すことはなかなか難しいのです。(私はその典型的な人間です(。>д<))
それでも、この本はそんな私にも光を与えてくれているかのようです。

この旅はもうしばらく続いていきます。
そうして、この旅が一区切りしたあとは、
新たな気持ちで
再び
現実世界の冒険に出発です。

余談ですが、十牛図の第十図である入廛垂手にはふくよかで袋を持つ老人と若者が話しをしている絵が描かれているのですが、三田さまはこの老人を七福神の布袋さまだと推測されています。そして、布袋さまのプロフィールも添えられているのですが、その最後の行に布袋さまが弥勒菩薩さまの化身だという伝説が残るとありました。

弥勒菩薩さま・・・

またです。




弘法さまです。

弘法さまは未来に弥勒菩薩とともにまた
現れるとおっしゃったとも
イコール弥勒菩薩さまとも言われたり
弥勒菩薩さまと弘法さまは同じ梵字でもあったりと
弥勒菩薩さまといえば弘法さまの存在はかかすことができません。

むむむ。

またまたやりますねぇ。弘法さま。
(コラコラ、だから失敬ですって(`へ´*)ノ)
す、すいません( ´△`)

三田誠広さま

弘法さま

素晴らしい大知慧に
心より感謝いたします。